時代がさらにくだって、書院造の住宅でも主な部屋と庭の間には補助的な庇の下の空間が置かれ、この部分は広縁と呼ばれて防御性と副次的な中間領域性を持った。つまり、これらの縁側の先祖の主要な役割は自然に対する防御性にあったと言えよう。ここで心得て欲しいのは、近代以前の日本の住宅は襖で仕切った部屋が連続しているだけで、内部には廊下にあたる通路がまったくなかったことである。だから書院造の時代に、住宅の機能が複雑化し多数の部屋が連続して使われるようになると、広縁は部屋と部屋とをつなぐ通路として使われる場合が多くなり、その通路を室内化するために広縁に建具が入れられた。
(参考)
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今ぼくたちが懐かしがっている縁側に近い形がこうして整ったのだ。以上は貴族住宅の系統の話だが、近世以降の民家の変遷もだいたいこれと同じ経過をたどる。すなわち、いわゆる「田の字平面」で内部に通路を持たない住宅のまわりに、自然に対する防御性を主眼とした庇が巡らされ、モの下の空間が次第に通路の役割を担うようにたってから、そこに建具が入れられて室内化し、縁側となったのだ。